今だからこそペルソナ5のシナリオの残念さを振り返る

 

序盤は緊張感に満ちていて最高だった。爪弾きにされた少年少女が寄り添って汚い大人の支配に抗うというプロットは王道ながら魅力的だったし、クラスメイトは勿論保護者からも「危険なヤツ」として距離をおかれ、学校側には「問題を起こすな」とクギを刺されるあの閉塞感。

 

モルガナと出会った後に『人の心を操作するというのはとても危険なことで、最悪死んでしまう」という事を明示されつつも「それでもやるしかない」と決意していたのは説得力があったし、カモシダが全ての罪を告白するシーンは、意に添わぬ強大な力によってねじ伏せられてしまう人間の悲哀があり、良い意味でカタルシスとは程遠いものだった。

 

問題はその後の展開全てである。明智君が番組でクギを刺したように怪盗団の行為はとても「正しい」とは言えないリスクをはらんでいる(=過失致死)。にもかかわらず活動を継続していくが、そこに対する葛藤はない。また、葛藤が無い点をあえて描写しているようにも解釈は可能だが、明らかに不足している。

 

少なくとも序盤では、怪盗団が『改心』(という名の自由意志を奪う洗脳行為)に手を染めるのは、必ずしも全ての方向に正しい選択とはいえなくとも、するべきことだからやらなければならない、という方向性だったと思う。しかしそれも気が付けば分かりやすい正義と悪の二項対立のような描写になっていた。怪盗団は正義なので人命を脅かしても正義。ゲーム内のサブクエストでも、多くの人間の思考を操作することでトラブルを解決させているのも不快感を加速させる。

 

そんなモヤモヤした状態で突き進んだ上で提示される、定石をなぞっただけのカタルシス(笑)シーン。そう、「がんばれ怪盗団!」だ(PS4の電源を切ろうか悩んだ)。それまでずっと怪盗団の支持率変動を画面に表示させていたのは、最終的に『怪盗団は正しい』という評価に帰着させるためのものにすぎなかったのだろうか?

 

こうした点は明智君が客観的に主人公たちの行為を分析し、中和してくれる役割として機能していればもう少し納得できたと思うので、彼の扱いは非常に残念でならない(序盤の番組内での問いかけはそれを期待させるものだった)。

 

その他の仲間キャラ関連のアレコレとかラスボスのアレコレは全カットしておくが、ゲームとしては面白かった。