オチのない雑文

とある格闘ゲームをやり狂い、大学生としての一年を棒に振った、いや少々凝った棒を毎日全力で振りかぶっていられた日々は過ぎ去ってしまった。

 

あの時俺は自分がいちばんいいプレイヤーだと信じていたけれど、結局大きな大会ではどれも優勝を逃した。野試合で勝ち越した相手に対する敗北。彼らは「緊張」云々と言ってくれたけれど、あれはただ勝負で負けただけだった。彼らには本当の努力と覚悟とがあって──本当に、”ただのゲーム”と言われてしまえばそれまでなのだが──俺にはそれがなかったということなのだろう。

 

俺は俺で、本当の真剣勝負というのは最初の一回だけで、それ以降はただの馴れ合いになってしまうというとある小説のフレーズが脳裏に焼き付いていて、スッキリしてしまった。憑き物が落ちるというのはまさにこのことで、急速に俺を動かしていた何かが頭の中から失われたのを感じた。自分がこのタイトルで出せる全開を、連続で大きな舞台で出し切ることができて、それ以上の体験への欲求は霧散してしまっていた。

 

その後は別のタイトルを、以前ほどの情熱ではないにせよ、そこそこやりこんだつもりではある(結果は出なかったが楽しかった)。元々やっていたゲームのその後の大会には、殆ど謎の義務感のようなものに駆られて出ていた。親しくなったゲーマーに声をかけられて、じゃあチーム戦ならとほとんど触れていないのに記念参加をしたこともある。その時「負けてはいけない相手」に負けてしまったために今でもそのことをネタに煽られるが、あれは闘志の無い人間がたどる当然の帰結だというふうに思う。

 

情熱を失ってから一年で、貯金と言えるような実力はすべて抜け落ちた。

稀に触っても、残ってやり続ける者には掌の上で転がされ、継続していても実力のついていない者は逆に転がすようなカタチになるため、ますます遠のいていた。

 

だが、情熱を失ってから二年後に行くことになったパリでの大会は、とても素晴らしい体験だったと思う。あそこへ行った時の俺は、おそらく、やりこむ気力を失って以来唯一真剣に、本気になることができたし、そこでの野試合も本当にすばらしいものだった。だけど、一瞬蘇った火も消えてしまった。

 

 

league of legendsは面白いゲームだと思うが、二年やっても、狂うほどにはなれないだろう。このブログの更新頻度もそれを表している。

 

大学に入った後よりも、受験生の時のほうがもっと熱心に勉学を楽しむことができるというあの感覚に近いのかもしれない。

 

 

 

 

最近本当にストイックなゲーマーについて考えている。この人は謙虚で、誠実で、なんてストイックなんだろうと思っていたら、いったんタイトルを手にするやいなや、リングネームやらツイッターのアカウントやらをいじり、自分の実績を喧伝などするものなのだから、勝手に期待しておいて勝手に失望してしまうのである。

 

もちろん、本当にストイックな人なんだなあと思わせるゲーマーの方はいる。

その一方でこいつは意識が高いゲーマーだなあと思ってみていると、意外と言い訳が多かったり、意地を張ったりなど、人間臭さがにじみ出てかえってすがすがしく感じることもあるから不思議だ。

 

こんなことを書いている俺も、いっぱしの上流ゲーマーなどを気取った発言をしていれば、周囲の人々からは冷笑を持って迎えられるだろう。いや、そもそも上流ゲーマーとはなんなのか。

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