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 死病の末期に、どうしてもSW最新作が観たいというファンがその願いをかなえられ、特別な試写会を開催してもらったというニュースがあった。感動的な話だ。しかし、果たしてそのファンが満足いく内容だったのだろうか?

 まさに「死ぬほど」恋焦がれていた大好きなシリーズの最新作、それを人生の最期に観ることとなった彼は果たして安らかに逝けたのだろうか。率直にいって、その本当に楽しみにしていた作品が自分の期待を裏切るような出来であったらどうなってしまうことだろう、というハナシである。

 好きな作者の作品であっても、今回は肌に合わなかったというようなことは往々にして起こることだ。自分もそうなる予感がしているので、爽快に満足してではなく、もやもやとした不満を抱えたまま死んでしまう人について考えている。

 

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lolはpreseason。変更が激しい、調整も頻繁に行われる。もうどのレーンにいっても強キャラと言われる連中が跳梁跋扈しており、ある意味バランスはとれていると言えるのかもしれない。my champであるSyndraも、以前よりはだいぶ使いやすくなった。

こんなメタでは新チャンプの(たぶん)mageがきても、あまりなじめないのではないか?などと言われていたが、なんだかんだでまだまだAPチャンプは現役でやれそう。mageメインの人間としては、もう絶対fighterとかやるの無理だし、たとえtopにいくにしてもlulu kayle lissあたりでお茶を濁していきたいものだ。ADCはもう無理。

アニメ版デレマス二期の不満をつらつら

・結局最後まで「笑顔」「冒険」「キラキラ」というふわふわしたフレーズを多用して、常務の方針との対立も、「まあアイドルは自分らの想像を超えてっちゃうんでグダグダ言っててもしゃーねえw」でフワフワと終った。流石に逃げというか着地点を無理くり放りだしたように感じる。

 

・肝心のライブシーンは力つきたとしか思えない。というか2期は基本的にライブシーンは止め絵が多くてほとんどライブシーンの楽しみがなかった(ライブ以外の部分も延々と曇り展開ばかりだったし)。

 

・積み重ねてきたものが無さすぎるというか薄すぎる。なので回想に感慨深い想いに浸ることもできなかった。特にNGは、日常生活のなかで集まって食事をしていたりとかそういうチーム感が完全に欠けていた。だからNGは大切な集団云々という話が出ても惹かれるものがなかったな。

 

・アニメ化だというのに、まさかNGもTPも株を落とされるようなシナリオになるとはいったい誰が予想したのか。卯月復活回も、自主ダンスレッスンしかやってなくてリハーサルを一度もやっていなかったのに飛び入りでライブを成功させてしまうというご都合っぷり。「想像を超えてくる」在り方として考えても疑問符が残る。

 

・ファンの扱い。たとえばアニマスでは律子が1話だけアイドルとしてライブを行うエピソードがある。そこでは律子がアイドルを退いて以降もずっとファンでいてくれた人が色々と働きかけてくれる、アイドルという仕事はファンあってのものだというを強調するエピソードが出てくるが、そういった点が触れられることは無かった。

 

モバマスの方では毎週「NOMAKE」と「マジックアワー」を配信しており、NOMAKEのほうでは本編で語られていなかったエピソードというのを毎週やっていた。ここでヘイトを買いそうなキャラ発言とかをフォローしていたわけだが、視聴者の9割は存在すら知らなかったと思う。

 

・アイドルの人数が多すぎるからCPにメンバーを絞ったのだろうなあと思ったら、結局二期で登場アイドルが更に増えてきて、元々あまり喋れていなかったキャラが更に喋れなくなってしまった。本末転倒なのでは。常務はヘイトを引き受けるキャラとしては気配りが充分すぎるほどだったが、彼女にとってアイドルとはどういった存在なのか、なぜここまで成果にこだわるのかといったバックボーンは一切語られることはなく「346のブランドが~」で終始貫き、実務的な性格のはずなのにやたらポエミーなやりとりを行う。2期のシナリオを引っ張っていく敵役として考えるには優しすぎたし、かといって共感することもなかった。まあそういうもんだよねとは思うが、ならどうして延々と....

 

・NGで凛が云々というところではあれだけの騒ぎが起こったのに、美波はあっさり送り出してしまうという対比は何かあるのかな?と思ったが特に無かった。一体なんだったんだ?大人力アピールのため?

 

・二期序盤で楓さんが「私はファンの皆さんと共に歩んでいきます」と常務に反発したエピソードは素晴らしいと思うが、これを最初に持ってきたのに結局ファンのこととか一切考慮せずにふさぎ込む卯月とかは、お前先輩から何も学んでないのかって気分にさせられてしまう。後半に持ってくるべき話だったと思う。

 

・Pは惜しいキャラ。一期では裏方としての有能がよくわかり、コミュニケーションは苦手だけど能力を発揮して頑張っている様子が伝わってきたが、二期においてはそういった描写が省かれまくり、アイドルは曇りまくりで本人は笑顔ですbotと化しつつ常務とポエムライブバトルを繰り広げるアホキャラになってしまった。

 

総評としては、やっぱりキャラが多いソシャゲ原作アニメで一本のシナリオやるために登場キャラ絞ったのに肝心のキャラ演出がザルだったら意味なくなっちゃうし(ずっとゲームを支えてきた原作の未央担当Pとしても精神的被害を受けた)、それが無理でもせめてアイドルアニメだったらライブシーンはきっちりと動かしてほしかった。

 

一期はまだよかったが、二期を視聴するくらいなら最初の二話で止めて

ガンガンのNG漫画を読んだ方が絶対によい。

トゥットゥルーズ

 サーバーが移設する一か月ほど前から、バイトがたくさん入ったり、そもそもlolへのモチベが激的に低下していたりで、ほとんどログインすることがなくなってしまっていた。放置しすぎたのでplat5まで降格したし、pingが上がっているからsyndraで10分70csとるのも、今ならきっと鼻血を出すほど集中しなければならないだろう。しかし、低モチベ自慢を羅列しようという気は無い。

 

 俺の所属していたゲームコミュニティの一部がグラブルを始め、それなりの盛り上がりを見せている。この人は絶対こういうゲーム向いてないだろうなと思った人が、経験者に高度な質問を繰り返しまくったりなど、意外な一面も観れて面白い。

 

 だがフレンドが増えれば、ゲーム内での義務───娯楽だというのにおかしな話だが───もそれに伴って増えて行ってしまうものであるからして、段々と窮屈になってきた。もしこのブログを読んでいる奇特なグラブルプレイヤーの人がいたら是非聞きたい。一日中何をするにもカジノのビンゴに入り浸る人間に「アナト持ってない雑魚おる?」などと煽られたことはあるだろうか。また、自分が純粋に好きなキャラクターをサプチケでとったことを「ヒく」などと言われたことはあるだろうか。あるいは好きなキャラクターを性能面だけで「ゴミ」としか表現されないということをどう思うか?

 

 これはたぶんゲームへのスタンスの違いというものなのだろう。スパ4に例えるなら、カジノに積極的でないのはトレモをあまりやらないということ、アナトを集めないというのは目の前で撃たれた波動に対して飛び道具無敵の必殺技を出さないとか、あるいはウルコンガードしてるのに何もしないとか、グラブルやりこみ勢からしたらそういうレベルなのかもしれないなあ。

 

 結局、集まってきたフレはやりこみ勢の方が多数になってしまったので、俺が「カジノなんてつまんねーよ」という話をすれば、ぶら下がっている葡萄をあれはすっぱいに違いないと評した、あの童話のキツネのような扱いをされてしまうような状態だ。

 

 ゲームは他の人とやると基本的には一人でやるよりも楽しい。だが、独りでやるほうが性に合うタイプのゲームもあるということなのかもしれない。

なぜ自分がモバマス(デレマス)のアニメをつまらないと感じるようになったのか考える

  元々モバマスを少しやっていたので、思い入れのあるキャラはいくらでもいた。ニュージェネを題材にしたコミカライズなどはよくできていたし好きなキャラにもフォーカスが合うしで、かなり満足度は高かった。その上でアニメ1話があのクオリティだったし、最初に三人が美嘉のバックダンサーとして参加したライブシーンは本当に感動していた。

 

 ところが本田未央が爆発した(というよりはさせられたというのか)。

本田未央はずっと恵まれない立ち位置にいたところから一気にSR昇格・CDデビュー・持ち曲ミツボシの歌詞の本人とのシンクロなど、大きなドラマ性を持っていて、好きなキャラなのだけれど、アニメ版の未央はどうも違和感が拭えなかった。最初は単純に「ゲーム版の未央とちがって、アニメでは等身大のアイドルを強調しているからなんだろう」と思っていた。実際、未央が自信喪失を乗り越える回は(島村卯月への印象のほうが上回っているとはいえ)良い話になっていた。

 一期ラスト、なぜか美波を一度体調不良でダウンさせておきながらなぜかライブ直前は都合よく体調が回復しいけます!と言い出し、アクシデントを気にせず承諾する武内Pというくだりは、スポ根というよりはご都合主義的だし、そもそもこの展開は必要なのか?と少し不自然に感じていた。ズレを本格的に感じ始めたのはこのあたりから。

 

 そして期間を空けての二期。やってくる成果主義の上司。解体の危機に瀕する各アイドルグループ、落ち込むアイドル達、その中でCP存続のために奮闘する武内Pという構図そのものは王道であり、良いなと思っていたのだが、これ以降は「落として上げる」流れが完全にテンプレ化してしまったように思う。結成されたばかりのユニット、デビューしたばかりのアイドルが問題を抱えないわけはないとは思うのだが、誰かの笑顔が曇る→なんやかんやで笑顔が戻ってくるというパターンがずっと繰り返されているため、そもそも前半パートでどんよりしているようなところが茶番に思えてしまうようになった。その裏で島村卯月の問題点がほのめかされつつあるものの、牛歩のごときスローペースである上に島村卯月自体、未央復帰の手助けを(意図せずして)成功させて以降は本編では急速に空気と化してしまっているため緊張感がない。

 

 

 印象に残ったライブシーンも、次で20話だというのにまだ序盤、美嘉のバックダンサーとしてニュージェネが飛び出していった回くらいしかない(これは好みの問題だろうと信じたい)。かな子達がクイズ番組に出た回のように純粋に楽しめる話が来る尺はもうないのではないか?

 なぜこれほどストレスを与えるような脚本にする必要があったのだろう?というところが、自分にとってのもっとも大きな不満点だろう。

 

回帰

lol以外の話題が続いているのでそろそろlolについても書いておこう。

 

 身内の平均レートは、時間が経過していることもあってか上がっていく一方だ。ただ新しい動きとして見れるのは、おそらくそのレートの実力で安定するほどの知識や、強いキャラを複数使いこなす器用さを持たない人が、社会人でありながら(しかも上役だ)、悪鬼のごときやりこみによってDiamond5に到達したという点にある。

 その人のroleはadcであり、レーン戦はみんなが認めるうまさなのだが、知識不足からか集団戦で妙な動きをして、ダメージを出せずに即死してしまったり、敵のsupportを無視してオブジェクトを殴り続けた結果、インヒビを割れずにミニオンシャワーで殺されてしまうなど、好意的にいえば愛らしいプレイをするタイプ。知識もほとんど取り入れておらず、ゲームを始めてから二年経っているのにsonaでCDRを80%積むようなビルドをするなど、とにかく少し尖った人である。

 

 そんな彼のBO5はどうだったのかというと、かなり旗色が悪くなった瞬間に敵チームにDCが発生したり、信じられないような脳死スローをひろっての勝利というあまりにも面白みがないものだったため、素直におめでとうという身内もまた少ない(それらの試合はすべて味方によるcarryであり、5v4の試合では敵のトリスにタイマンを挑んで返り討ちにされたりなどしていた)。

 

 自分の身内には、いつもノーマルをやりこんでいて、レート以上の実力を持ちながらsoloQをやらない人間が多い。いわく、面倒臭いから(自分もその一人である)。そういった人たちに、「いやいや実質プラチナ。まだダイヤには早いでしょう」「俺のほうが上手い」と批判された彼が「いやいやいや。じゃあさ、ダイアになってから言ってみなよ」と胸を張った時、なぜだか不思議と清々しい感じがした。

 やらないレート詐欺より、やってるレート詐欺。世の中の説得力がどこから出てくるのかを感じ取った気がした。

 

 

evo2015

決勝をまくって勝利したノビ以上に、不安定な技に土壇場で頼ってしまって敗北したAOが、それを自覚したのだろう試合終了後も立ち上がれずに号泣するAOの姿が、とても尊いものに思えた。もし負けたのがノビの方だったら彼はあれほどの慟哭を見せたのか?と言ったら、おそらく違うだろうなとも思う。情熱は必ずしも結果を運んできてくれるわけではないけれど、本当の情熱を持つ人間は素晴らしい。

オチのない雑文

とある格闘ゲームをやり狂い、大学生としての一年を棒に振った、いや少々凝った棒を毎日全力で振りかぶっていられた日々は過ぎ去ってしまった。

 

あの時俺は自分がいちばんいいプレイヤーだと信じていたけれど、結局大きな大会ではどれも優勝を逃した。野試合で勝ち越した相手に対する敗北。彼らは「緊張」云々と言ってくれたけれど、あれはただ勝負で負けただけだった。彼らには本当の努力と覚悟とがあって──本当に、”ただのゲーム”と言われてしまえばそれまでなのだが──俺にはそれがなかったということなのだろう。

 

俺は俺で、本当の真剣勝負というのは最初の一回だけで、それ以降はただの馴れ合いになってしまうというとある小説のフレーズが脳裏に焼き付いていて、スッキリしてしまった。憑き物が落ちるというのはまさにこのことで、急速に俺を動かしていた何かが頭の中から失われたのを感じた。自分がこのタイトルで出せる全開を、連続で大きな舞台で出し切ることができて、それ以上の体験への欲求は霧散してしまっていた。

 

その後は別のタイトルを、以前ほどの情熱ではないにせよ、そこそこやりこんだつもりではある(結果は出なかったが楽しかった)。元々やっていたゲームのその後の大会には、殆ど謎の義務感のようなものに駆られて出ていた。親しくなったゲーマーに声をかけられて、じゃあチーム戦ならとほとんど触れていないのに記念参加をしたこともある。その時「負けてはいけない相手」に負けてしまったために今でもそのことをネタに煽られるが、あれは闘志の無い人間がたどる当然の帰結だというふうに思う。

 

情熱を失ってから一年で、貯金と言えるような実力はすべて抜け落ちた。

稀に触っても、残ってやり続ける者には掌の上で転がされ、継続していても実力のついていない者は逆に転がすようなカタチになるため、ますます遠のいていた。

 

だが、情熱を失ってから二年後に行くことになったパリでの大会は、とても素晴らしい体験だったと思う。あそこへ行った時の俺は、おそらく、やりこむ気力を失って以来唯一真剣に、本気になることができたし、そこでの野試合も本当にすばらしいものだった。だけど、一瞬蘇った火も消えてしまった。

 

 

league of legendsは面白いゲームだと思うが、二年やっても、狂うほどにはなれないだろう。このブログの更新頻度もそれを表している。

 

大学に入った後よりも、受験生の時のほうがもっと熱心に勉学を楽しむことができるというあの感覚に近いのかもしれない。

 

 

 

 

最近本当にストイックなゲーマーについて考えている。この人は謙虚で、誠実で、なんてストイックなんだろうと思っていたら、いったんタイトルを手にするやいなや、リングネームやらツイッターのアカウントやらをいじり、自分の実績を喧伝などするものなのだから、勝手に期待しておいて勝手に失望してしまうのである。

 

もちろん、本当にストイックな人なんだなあと思わせるゲーマーの方はいる。

その一方でこいつは意識が高いゲーマーだなあと思ってみていると、意外と言い訳が多かったり、意地を張ったりなど、人間臭さがにじみ出てかえってすがすがしく感じることもあるから不思議だ。

 

こんなことを書いている俺も、いっぱしの上流ゲーマーなどを気取った発言をしていれば、周囲の人々からは冷笑を持って迎えられるだろう。いや、そもそも上流ゲーマーとはなんなのか。