トゥットゥルーズ

 サーバーが移設する一か月ほど前から、バイトがたくさん入ったり、そもそもlolへのモチベが激的に低下していたりで、ほとんどログインすることがなくなってしまっていた。放置しすぎたのでplat5まで降格したし、pingが上がっているからsyndraで10分70csとるのも、今ならきっと鼻血を出すほど集中しなければならないだろう。しかし、低モチベ自慢を羅列しようという気は無い。

 

 俺の所属していたゲームコミュニティの一部がグラブルを始め、それなりの盛り上がりを見せている。この人は絶対こういうゲーム向いてないだろうなと思った人が、経験者に高度な質問を繰り返しまくったりなど、意外な一面も観れて面白い。

 

 だがフレンドが増えれば、ゲーム内での義務───娯楽だというのにおかしな話だが───もそれに伴って増えて行ってしまうものであるからして、段々と窮屈になってきた。もしこのブログを読んでいる奇特なグラブルプレイヤーの人がいたら是非聞きたい。一日中何をするにもカジノのビンゴに入り浸る人間に「アナト持ってない雑魚おる?」などと煽られたことはあるだろうか。また、自分が純粋に好きなキャラクターをサプチケでとったことを「ヒく」などと言われたことはあるだろうか。あるいは好きなキャラクターを性能面だけで「ゴミ」としか表現されないということをどう思うか?

 

 これはたぶんゲームへのスタンスの違いというものなのだろう。スパ4に例えるなら、カジノに積極的でないのはトレモをあまりやらないということ、アナトを集めないというのは目の前で撃たれた波動に対して飛び道具無敵の必殺技を出さないとか、あるいはウルコンガードしてるのに何もしないとか、グラブルやりこみ勢からしたらそういうレベルなのかもしれないなあ。

 

 結局、集まってきたフレはやりこみ勢の方が多数になってしまったので、俺が「カジノなんてつまんねーよ」という話をすれば、ぶら下がっている葡萄をあれはすっぱいに違いないと評した、あの童話のキツネのような扱いをされてしまうような状態だ。

 

 ゲームは他の人とやると基本的には一人でやるよりも楽しい。だが、独りでやるほうが性に合うタイプのゲームもあるということなのかもしれない。

なぜ自分がモバマス(デレマス)のアニメをつまらないと感じるようになったのか考える

  元々モバマスを少しやっていたので、思い入れのあるキャラはいくらでもいた。ニュージェネを題材にしたコミカライズなどはよくできていたし好きなキャラにもフォーカスが合うしで、かなり満足度は高かった。その上でアニメ1話があのクオリティだったし、最初に三人が美嘉のバックダンサーとして参加したライブシーンは本当に感動していた。

 

 ところが本田未央が爆発した(というよりはさせられたというのか)。

本田未央はずっと恵まれない立ち位置にいたところから一気にSR昇格・CDデビュー・持ち曲ミツボシの歌詞の本人とのシンクロなど、大きなドラマ性を持っていて、好きなキャラなのだけれど、アニメ版の未央はどうも違和感が拭えなかった。最初は単純に「ゲーム版の未央とちがって、アニメでは等身大のアイドルを強調しているからなんだろう」と思っていた。実際、未央が自信喪失を乗り越える回は(島村卯月への印象のほうが上回っているとはいえ)良い話になっていた。

 一期ラスト、なぜか美波を一度体調不良でダウンさせておきながらなぜかライブ直前は都合よく体調が回復しいけます!と言い出し、アクシデントを気にせず承諾する武内Pというくだりは、スポ根というよりはご都合主義的だし、そもそもこの展開は必要なのか?と少し不自然に感じていた。ズレを本格的に感じ始めたのはこのあたりから。

 

 そして期間を空けての二期。やってくる成果主義の上司。解体の危機に瀕する各アイドルグループ、落ち込むアイドル達、その中でCP存続のために奮闘する武内Pという構図そのものは王道であり、良いなと思っていたのだが、これ以降は「落として上げる」流れが完全にテンプレ化してしまったように思う。結成されたばかりのユニット、デビューしたばかりのアイドルが問題を抱えないわけはないとは思うのだが、誰かの笑顔が曇る→なんやかんやで笑顔が戻ってくるというパターンがずっと繰り返されているため、そもそも前半パートでどんよりしているようなところが茶番に思えてしまうようになった。その裏で島村卯月の問題点がほのめかされつつあるものの、牛歩のごときスローペースである上に島村卯月自体、未央復帰の手助けを(意図せずして)成功させて以降は本編では急速に空気と化してしまっているため緊張感がない。

 

 

 印象に残ったライブシーンも、次で20話だというのにまだ序盤、美嘉のバックダンサーとしてニュージェネが飛び出していった回くらいしかない(これは好みの問題だろうと信じたい)。かな子達がクイズ番組に出た回のように純粋に楽しめる話が来る尺はもうないのではないか?

 なぜこれほどストレスを与えるような脚本にする必要があったのだろう?というところが、自分にとってのもっとも大きな不満点だろう。

 

回帰

lol以外の話題が続いているのでそろそろlolについても書いておこう。

 

 身内の平均レートは、時間が経過していることもあってか上がっていく一方だ。ただ新しい動きとして見れるのは、おそらくそのレートの実力で安定するほどの知識や、強いキャラを複数使いこなす器用さを持たない人が、社会人でありながら(しかも上役だ)、悪鬼のごときやりこみによってDiamond5に到達したという点にある。

 その人のroleはadcであり、レーン戦はみんなが認めるうまさなのだが、知識不足からか集団戦で妙な動きをして、ダメージを出せずに即死してしまったり、敵のsupportを無視してオブジェクトを殴り続けた結果、インヒビを割れずにミニオンシャワーで殺されてしまうなど、好意的にいえば愛らしいプレイをするタイプ。知識もほとんど取り入れておらず、ゲームを始めてから二年経っているのにsonaでCDRを80%積むようなビルドをするなど、とにかく少し尖った人である。

 

 そんな彼のBO5はどうだったのかというと、かなり旗色が悪くなった瞬間に敵チームにDCが発生したり、信じられないような脳死スローをひろっての勝利というあまりにも面白みがないものだったため、素直におめでとうという身内もまた少ない(それらの試合はすべて味方によるcarryであり、5v4の試合では敵のトリスにタイマンを挑んで返り討ちにされたりなどしていた)。

 

 自分の身内には、いつもノーマルをやりこんでいて、レート以上の実力を持ちながらsoloQをやらない人間が多い。いわく、面倒臭いから(自分もその一人である)。そういった人たちに、「いやいや実質プラチナ。まだダイヤには早いでしょう」「俺のほうが上手い」と批判された彼が「いやいやいや。じゃあさ、ダイアになってから言ってみなよ」と胸を張った時、なぜだか不思議と清々しい感じがした。

 やらないレート詐欺より、やってるレート詐欺。世の中の説得力がどこから出てくるのかを感じ取った気がした。

 

 

evo2015

決勝をまくって勝利したノビ以上に、不安定な技に土壇場で頼ってしまって敗北したAOが、それを自覚したのだろう試合終了後も立ち上がれずに号泣するAOの姿が、とても尊いものに思えた。もし負けたのがノビの方だったら彼はあれほどの慟哭を見せたのか?と言ったら、おそらく違うだろうなとも思う。情熱は必ずしも結果を運んできてくれるわけではないけれど、本当の情熱を持つ人間は素晴らしい。

オチのない雑文

とある格闘ゲームをやり狂い、大学生としての一年を棒に振った、いや少々凝った棒を毎日全力で振りかぶっていられた日々は過ぎ去ってしまった。

 

あの時俺は自分がいちばんいいプレイヤーだと信じていたけれど、結局大きな大会ではどれも優勝を逃した。野試合で勝ち越した相手に対する敗北。彼らは「緊張」云々と言ってくれたけれど、あれはただ勝負で負けただけだった。彼らには本当の努力と覚悟とがあって──本当に、”ただのゲーム”と言われてしまえばそれまでなのだが──俺にはそれがなかったということなのだろう。

 

俺は俺で、本当の真剣勝負というのは最初の一回だけで、それ以降はただの馴れ合いになってしまうというとある小説のフレーズが脳裏に焼き付いていて、スッキリしてしまった。憑き物が落ちるというのはまさにこのことで、急速に俺を動かしていた何かが頭の中から失われたのを感じた。自分がこのタイトルで出せる全開を、連続で大きな舞台で出し切ることができて、それ以上の体験への欲求は霧散してしまっていた。

 

その後は別のタイトルを、以前ほどの情熱ではないにせよ、そこそこやりこんだつもりではある(結果は出なかったが楽しかった)。元々やっていたゲームのその後の大会には、殆ど謎の義務感のようなものに駆られて出ていた。親しくなったゲーマーに声をかけられて、じゃあチーム戦ならとほとんど触れていないのに記念参加をしたこともある。その時「負けてはいけない相手」に負けてしまったために今でもそのことをネタに煽られるが、あれは闘志の無い人間がたどる当然の帰結だというふうに思う。

 

情熱を失ってから一年で、貯金と言えるような実力はすべて抜け落ちた。

稀に触っても、残ってやり続ける者には掌の上で転がされ、継続していても実力のついていない者は逆に転がすようなカタチになるため、ますます遠のいていた。

 

だが、情熱を失ってから二年後に行くことになったパリでの大会は、とても素晴らしい体験だったと思う。あそこへ行った時の俺は、おそらく、やりこむ気力を失って以来唯一真剣に、本気になることができたし、そこでの野試合も本当にすばらしいものだった。だけど、一瞬蘇った火も消えてしまった。

 

 

league of legendsは面白いゲームだと思うが、二年やっても、狂うほどにはなれないだろう。このブログの更新頻度もそれを表している。

 

大学に入った後よりも、受験生の時のほうがもっと熱心に勉学を楽しむことができるというあの感覚に近いのかもしれない。

 

 

 

 

最近本当にストイックなゲーマーについて考えている。この人は謙虚で、誠実で、なんてストイックなんだろうと思っていたら、いったんタイトルを手にするやいなや、リングネームやらツイッターのアカウントやらをいじり、自分の実績を喧伝などするものなのだから、勝手に期待しておいて勝手に失望してしまうのである。

 

もちろん、本当にストイックな人なんだなあと思わせるゲーマーの方はいる。

その一方でこいつは意識が高いゲーマーだなあと思ってみていると、意外と言い訳が多かったり、意地を張ったりなど、人間臭さがにじみ出てかえってすがすがしく感じることもあるから不思議だ。

 

こんなことを書いている俺も、いっぱしの上流ゲーマーなどを気取った発言をしていれば、周囲の人々からは冷笑を持って迎えられるだろう。いや、そもそも上流ゲーマーとはなんなのか。

05/10

 かつて母親だった人からの半年ごとの定期的な電話を、ずっと無視してきていた。両親の離婚が確定した時、母が精神を病んでいたのは俺の眼にも明らかだったし、かといって同情や擁護したくなる気持ちを誘われるような気分になったかというと、そうではない。俺への食事提供を放棄して独り居酒屋に通い、家事をサボッてソファーに寝そべってビールを飲みまくり、腹は狸に、髪の毛はろくに洗わずフケだらけというような人で、しかもそのくせ就寝した俺の頬にキスをしにくる。俺はこれを嫌悪感を引きずりながら歯を食いしばって我慢していたようなありさまだったので、正直なところ離婚が決定したことにホッとしてすらいたのである。

 

 だから、母からの電話はずっと拒んできていた。だが今晩、本当の気まぐれから、電話をとってしまった。

 声色は昔とあまり変わっていなかったような気がする。だが、明らかに変わっていたのはその話し方だった。まだ50前後のはずなのに、まるで老婆と精神を患った人間の中間にいるかのようなトーンだった。なんとなく、そうなんとなく後ろ髪をひかれる想いをずっと味わってはいた。しかしそれはくだらない感傷の残滓のようなものなのだと、だから電話も取らずにいた。しかし電話を取って初めて、自分が本当に心の底から母親だった人に対してなんら愛情も未練も見いだせなくなっていたということに気付いてしまった。電話をとってすぐに自分の口調は急速に機械的で、事務的なものになっていた。まるで、普通のごみと、リサイクルできる回収品をよりわけながら喋っているかのようだ。そして俺はあの人を、心の中で前者として、袋にしばって、捨てた。

 

 ただ、あの恐ろしい声だけは、しばらく脳裏に響くことになるのかもしれない。 

supportメインとは?

 最近、身内がsoloQでsupportをプレイする頻度が明らかに全体的に上がっている。本人たちの言うところによれば、fillと言っていたら自動的に回ってきたりだとか、あるいは得意なroleをとられたからとりあえずやっているのだということだが、しかし確実に結果が出ているから面白い。supportメインでやっていないプレイヤーであっても、supportが求められている仕事を理解していればちゃんと結果を出している(勝率は実際良いようだ)。

 

 なぜsupportは結果が出やすいのか?自分がある程度勝ち進み、マッチングが完全に自分と互角かもしくは格上の相手と組まれるようになった時、リスクやプレッシャーがもっとも低いroleであり、それでいて見返りが大きいというのがあるのではないか。

ただでさえ、NAのsupportはtrollまがいのものが多い。sight stoneを持っても適切な視界取りを怠り、デワードもろくにしなかったり、ずっとbotに張り付いて他レーンの助力に回らない、そういう輩はそこまで珍しいものではない(mageをpickしてcarry buildだとか)。だからこそ、常識を持ったプレイヤーがsupportをやっただけで結果が出てしまうのだろうけれど、もともとsupportメインでプレイしている自分としては非常に複雑な気分にはなる。自分は付け焼刃supportを圧倒することはできる。しかし、それで他のroleをやったら常勝近くに持っていけるかと言われれば微妙だ。midもtopも大きくメタが動いてしまった。adcも立ち位置が難しく苦手である。

 ただ、supportはやりやすいroleであっても、簡単なroleではないはずだ。開き直り、では余が真のsupportを見せてやろうというような気概が必要なのかもしれぬ。